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どんな死に方がいいか考えてみる-自分が望む最期-

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のじぱき でございます。

かなりストレートでダークなタイトルですが、遅かれ早かれこれって誰にでも訪れることですよね。

不慮の事件や事故を除いて、永遠に生きるには遺伝子弄くれば何とでもなるのでしょうが、その考え方は今は無しにしまして・・・。


今や「就活」ならぬ「終活」なんて言葉ものがありますが、自分の最期についてよく考えるようになりました。

1年1年新年を向かえる毎にこの傾向は強くなっているように思えます。特に今は早くも11月の下旬です。2014年もあと1ヶ月程度しかありません。

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新しい年を迎えるということは即ち、自分も老けるということです。

なので私は「Happy new year!」とエヘラエヘラ笑い散らかしながらその文言をいうことができないというか、ちょっと辛い気持ちにもなります。

しかし、どうやったって時を止めたり時を戻すことなんてできないのですから、老けることをいくら考えたって意味が無いのです。


今回は、そんなことを考えていきたいと思います。


<健康と疾患>

こんなことをよく考えるのは、自分自身が疾患を持ってるからでしょう。

以前こちらにも記載していますが・・・

何にも無くて正常で超超超健康で、身内にも疾患持ちが1人もいなかったら全く考えていない、考える余地も無いと思います。

脅しではないですが、遠い親戚に疾患を持っている人が1人でもれば、自分もその可能性は0ではないわけです。



<自分の年齢との対比>

それとこんなことを考えることには、私自身がそこそこいい歳になっていることもあるでしょう。

ハイハイ・ヨチヨチ歩き、「アー」しか話せない、泣くこと・怒ること・笑うことしか出来ない、あの頃の小さくて可愛い孫はもういませんよ。じいさんばあさん。


何か本当に色々考えてしまいまして、唯一存命の父方の祖父母も来年の正月を迎えることができるか分かりませんし、自分の両親ですら正月を過ごせるのも数十回程度でしょう。

その前に自分が先にいなくなるか分かりませんが。

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<子供の頃想像してた未来の自分>

こんなことも考えます。

幼い頃思っていた今の自分の年齢の大人は、もっとしっかりしていて、家庭を築いて人間らしい生活を送っていただろうと。

しかし、実際にこの年齢になってみて、全くかけ離れた人間がここに居ます。

ということは、そこからここまでのプロセスの中で「こんな大人になっているだろう」という考えが、今日を生きることに精一杯で、いつの間にか消えてしまっていたのだろうと。

ギャップには「いいギャップ」と「悪いギャップ」がありますが、現時点でのキャップは確実に後者にあたりますね。


<まとめ>

どなかたの詩で「命を持って誕生した者は、生まれた瞬間から死に向かっている」という類の詩を見たような、聞いてないような・・・。

確かにそれはそうですよね。

電池やバッテリーだって、例え使わなくたって自然放電するわけですから、人間だって何もしていなくても生きていれば自然と減っていくのです。

ただ、その減り方が個々で違うだけであって・・・。


よって私が望む最期は「苦しまずに自然に逝ければいい」です。他は何も望みませんね。

こんな最期は嫌だ!」という考えはいくらでも出てくるのですが、「こんな最期がいい」ということを考えると、何だかんだで結局前述の通りなのかなと。


週の真ん中で暗めな話でしたが、ここまでお読み頂き有難う御座いました。


ではでは。

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