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ぼっち、ぼっちと言いますが・・・本当にあなたはぼっちですか?

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のじぱき でございます。

只今私、ぼっちを極めているはずです(なぜこんな表現なのかは後述で)。

最も、どこからどこまでをぼっちと定義するのか難しいところですが、とりあえず、「自分はぼっちなんだ」と思えば、それがぼっちなのだと思います。


そもそも、私がぼっちを強く意識するようになったのは高校時代からだと感じています。


若干自慢になってしまいますが、小中学時代は同級生のみならず、他のクラスの人など沢山の人に覚えてもらえていました。つまり、同学年で自分のことを知らないという人がいないレベルです(そんなの当たり前という人もいらっしゃると思いますが・・・)。

でももう10年以上前のことですから、今となっては私のことを覚えている人なんか1人2人ほどでしょうね。所詮、そんなものです。


・・・戻りまして、私の事態は高校時代に一転しました。


当時私は、高校を卒業してからは就職するつもりでいました。それも、大好きなトラックを乗り回せる職業の「運送業」を候補に挙げていました。

そのため、私は資格が沢山取れるタイプの公立高校を受験しました。

見事合格できた私は、半ば浮かれ気分で楽しいハイスクールライフ(なんでカナカナにした)を想像していました。

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しかし、受験前に同学年の人たちがどこの高校に行こうとしているのかなど、全くといって良いほど気にしておらず、同じ出身校の人は一人もいないという超アウェー状態に気がついたのは高校入学間際のことでした。


「・・・ ということは、自分は一人じゃないか・・・ 仲良かった人は誰一人としていない・・・」


それまで沢山の仲間に囲まれてきた学校生活。私は何とも言えない孤独感に襲われました。

つまり私は友人仲間ではなく学校資格だけを意識していたのです。


結論から言うと、私の高校生活は今でも思い出したくない程、悲惨で腹立たしいものとなりました。

"イジメを受けた"とか、そういうことではなく、担任とのいざこざや学校の雰囲気など、とにかく思い出すのが嫌ですね・・・。

毎日がとにかく苦痛で苦痛で、精神的ストレスの影響で持病である期外性収縮の悪化パニック障害まで併発してしまいました。

地獄なのは授業中。

チャイムが鳴ったらそこからはもう逃げられない。自由に動くこともできない。

普通の人からすると何でもないことでも、自分にとってはそれは深刻な問題で、考えれば考えるほど冷や汗が流れてきたり、動悸が起きたり、脈が飛んだり・・・。

「顔色悪いよ?どうかしたの?」

と聞いてくれる人もいましたが、「脈が乱れている」とか「呼吸がうまくできない」なんて言ったら「この人と関わるのはよそう・・・」と思われてしまい、せっかく話しかけてくれる数少ない仲間が離れていってしまいそうで「別に何ともないよ・・・」と返すのが精一杯でした。


私の疾患については、またどこかの機会で・・・。


それと、高校時代(青春時代)で一番楽しいとされている(?)文化祭や体育祭も

「平日の朝っぱらからワーキャーワーキャーして、一体何が楽しいんだ・・・」

と思うようになり、全く楽しむことができませんでした。
(完璧に健康な身体ではないというのも一因だと思いますが)

小中学時代はあんなに楽しかった文化祭や体育祭。いや、学校に行くこと自体が楽しくて仕方がなかったあの時。

このギャップは一体何なのか。

しかし、この高校時代のお陰で私は担任や仲間に相当恵まれいたんだと、凄く身に染みて感じることができました。

そういった意味では、この高校時代には感謝したいと思います。


今こうしてみると、私の高校生活は「資格を取るため」と「その学校の出身」という肩書きを得るためだったのでは?と思うようにしています。

自分から高校時代を振り返ろうとすることは、これを書いている時以外はまずありませんが、こう思えるようになるだけでも幸せな方なのかと。

それと、こんな状態の人がトラックの運ちゃんになんかなれるはずもなく、考え直したのも言うまでもありません。

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一方でこういう意見もあると思います。

楽しいだけが高校生活か?

確かにそうです。何のために高校に行くのか、どうしてそういう選択をしたのか。

ただ仲間とワイワイ楽しく過ごすだけが高校生活ではないはず。


・・・しかし、1つでも楽しいと思えることがないと、参ってしまいますね。


あ、学校生活ではないですが、高校時代としてみれば楽しいことがあったかも。

私はこちらでも記述していますが、

幼いころからとにかく車が好きで、とにかく免許を取って、毎日街を走っている車やネットで車を眺めていることが楽しくて仕方がありませんでした。

それと、中3の終わり頃から始めたギターとベースが高校時代まで何とかダラダラと続いていましたので、ある程度弾けるようになっていました。

好きな曲に合わせて弾いて自分の世界に入り込むのも楽しかったです。

何も無理に人付き合いをしなくても、高校生活が楽しめなくても、こうやって一人で楽しめることがあるのだから、それでいいじゃないかと。大OKだと。


しかし、いつまでも1人ではダメなんですよね。


10代後半という年代は非常にシビアな時期で、精神に与える影響が非常に大きい年代だと思っています。同時に、その辺りで成人への人格構成がほぼ終了してしまうのだと。


「10代後半が充実していなければ、その後の人間関係などが充実することはない。」


これはちょっと言いすぎだと思いますが、20代・30代というのはその延長に過ぎないと考えています。

どこかで変わらなかったり、変われなかったり、変わろうとしない限り、これまでと同じ日々がずーっと続いて行くだけだと。


ただ私の場合、遠い昔に楽しい日々があった。これだけで十分なのだと。


長くなり申し訳ありませんが、私の学生時代の話はここまでにしておきまして・・・。


学生時代はぼっちでもいいのかもしれませんが、社会人となると絶対人付き合いがありますね。

それは例えワンマン起業であったとしも「誰かがいるからやっていける」という意識を忘れてはならないと思います。

こうして今、「人間関係なんかどうでもいいなんてことはない」と痛感しています。


もしあの時もっと人脈を広げる努力をしていれば・・・ もしあの時積極的に・・・


もしあの時」は「」になってはどうにもできない過去なのですから、見なければならないのは「現在」と「今後」ですね。


今こうしてこのブログへ足を運んで頂いたり、読者になって頂いたり、ネット上ではあるものの、それはあくまで形式上であって、人と人との関わりには変わらないと思います。

その画面を見ているのは誰ですか?そのカーソルを動かしてるのは?キーボードは?


ぼっちが悪いとは思いません。しかし、一人ぼっちで生きていくいうことは絶対無いと思いますし、何らかの形で誰かと関わっているので、人間関係はおざなりにすることはできないと。


過去と現在がごっちゃになって非常に読みにくかったと思いますが、最後までお読み頂いた方、お疲れ様でした。そして有難うございました。

それと、これらは全て自分の持論ですので、「へぇ~」という程度で流して頂ければと。


ではでは。

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