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辛すぎるパニック障害克服奮闘記-辛い毎日からの開放-

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のじぱき でございます。

以前こちらでもチラッと触れてはいましたが、「パニック障害」を患っていたことがありました。

"患っていた"と一応は過去形にはしているものの、いつでこで再発するか分からないのもこれの厄介さでもあります。

私の場合は16歳~22歳までの約6年間ですね。本当に闘いました。


そして・・・参りました・・・


でも、今思うと「なんでそんなことでそうなるのか」と言う程不思議なのです。

そんなパニック障害について綴っていきたいと思います。
(できればあまり思い出したくない記憶なのですが・・・)

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▼パニック障害-私の場合-

a.いつどんな時に発症したか

冒頭の記事内でちょっと書いてはいるのですが、私の場合は高校1年(16歳)からです。

それも授業中です。

これが実質、私のパニック障害の始まりになります。

最初は「なんか息苦しい・・・何でだ?」と考えていましたが、考えだけに留まらず身体に異常が。
手足が痺れてくるのです。

酸素が薄くなったり呼吸困難に陥る要素がないのに、なぜか苦しい。

しかもそれは、決まって"嫌な授業"の時に限って起こることに気がつきます。
(ちなみに嫌な授業とは嫌な教科ではなく、教師が893みたいだったからです。)

私語厳禁は勿論、余所見や姿勢を崩すことなどは一切許されず、とにかく苦痛で仕方がありませんでした。

それに加えて、高校生活自体の辛さが重なったことで拍車が掛かりました。

最も、これは単純に私が弱すぎたからなのですが。


b.期外収縮持ちが引き起こすパニック障害

私は幼少期から期外収縮(簡単に言えば脈飛びのような症状です)を持っており、高校生活を送る前までの日常生活においては殆ど感じることはありませんでした。

しかし、この時期辺りからちょっと強く感じるようになりだし「ヤバい!心臓が止まる!」と自分自身でパニックを起こすようになっていました。

とにかく1回でも脈飛びを感じたら「ヤバい!ヤバい!」と興奮状態に陥り、それが逆に悪循環を引き起こしていました。(ちなみに、今は大分慣れました)

しかしこの期外収縮も厄介なもので、楽しいことや夢中になっている時などは全くと言って良いほど感じないのです・・・。


c.パニック障害のせいで好きなことが出来ない絶望感

高校卒業後は大学へと進学させてもらい、実家を出て一人暮らしをスタートさせました。
(初めに断っておきますが、一人暮らしはパニック障害悪化の原因ではありません。)

大学に入ってもパニック障害は継続。

幼少期から大の車好きの私は、18歳で念願の運転免許を取りました。

当時は父親は東京に単身赴任、母親は免許はあるけど長らく運転していない完全なるペーパードライバーだったため、実家にある7人乗りのミニバンは誰も動かさない状態となっていたため、私が大学時代の足として使うことにしました。

新生活にちょっとワクワクしながらも、新居へと車を走らせるため車に乗り込みました。

免許取立てでしかも初の250kmという長距離移動というこもあって、この日はちょっと極端に緊張気味でした。

これも原因の1つだと思いますが、その道中で異変が起きました。

初めは高速に乗らずに下道をダラダラと走り、途中から高速に乗ろうと考えてました。

走り出して数十kmでしょうか、次第にあの嫌な感覚に襲われてきました。

やっぱり高校時代のように息が苦しく心臓がバクバクしてきて、手足も痺れてきます。

あまりの辛さに道の駅に寄りました。

これでは運転どころではない・・・ 何なんだこれは・・・

落ち着かせるため私は車内から出て、行きたくも無いのにトイレへと歩きました。

車という密閉された空間から一刻も早く脱出して、歩くことに集中する事で気を散らし、なんとか治めようとしました。

落ち着け、落ち着け・・・」ととにかく必死で言い聞かせました。

しばらく時間が経つと呼吸が落ち着き、手足の痺れも消え、脈拍も通常通りに。

しかし、目的地はまだまだずーっと先です。

そう考えると、楽しいはずの運転がみるみるうちに苦痛に変わってきました。

こんなはずじゃないのに・・・

その後も走り出しては同じ症状に陥り、通常ではあり得ない程の休憩回数を重ねながら何とかアパートまで完走ました。

とにかくその日は疲れすぎて食欲も無く、ただ眠るだけで終わった気がします。

今となっては250kmなんぞ屁でもないのですが、その当時はとにかく辛くて地獄でした。

その後も22歳まで運転によるパニック障害の症状が続き、次第に私は車の運転を避けるようになっていきました・・・。

あんなに昔から車が大好きだったのに、この有様です。

具体的に"どんな時にその症状が出るのか"を下記に並べてみました。

○高速道路の本線に合流する際、または走行中
○街灯や民家が少ない夜の山道
○一般道での追い越し(特に登坂車線)
○長いトンネル

高速道路では原則故障などが無い限り、PAやSAまで走り続けなければなりません。
よって、一度乗ったら止まれない=逃げられないと考えてしまいます。

ちなみに高速道路(片側2車線、計4車線)では1度だけ、あまりにも症状が酷くなったため、路肩に停まって数分間休んだことがありました(23歳くらいだったと思います)。

トンネルも同様で、距離が長ければ長いほど、抜けるまで"逃げられない"状態が続くことになるので非常に大変です。

ましてや対向車(特に大型トラック)が来れば逃げ場がありませんから、どんどん深刻に考えてしまいます。

また、人気の無い夜の山道は「もし何かあったら助からないな」と考えてしまい非常に困難でした・・・。

しかも、対向車が来れば恐怖感に襲われますが、誰もいない真っ暗な山道では対向車が来ないと逆に恐怖感に襲われ、もうどうしようもない状態でした・・・。

この"運転したらパニックになる"症状は、私にとっては非常に悔しいというかあまりに悲しく、「もうこのままハンドルを握ることが出来ない」とまで追い詰められました。

自分だけなら未だしも、周りを巻き込んでしまっては遅いからです。

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d.初めて救急車を呼んでしまった・・・

今までで1番酷かったのが母方の祖父の葬儀の時で、この時はもう自分でもどうすることもできず、ついに救急車を呼んでしまいました・・・

この日は7月夏真っ盛りで、猛暑日となっていました。

葬儀なので当然喪服を着ていました。夏服と言えどスーツです。

亡くなった祖父母が住んでいた家はエアコンが設置されておらず、出棺までの間は地獄のような暑さとなっていました。

扇風機は3台ほど出してはいたものの、密集する人と熱気の篭る部屋では当然ながら涼しい風など来る筈も無く、私は次第に具合が悪くなってきました。

不思議なことに、祖父が無くなる当日の朝方、祖父自身が私に別れを告げに来るという変な夢を見ていました。

こういった奇妙な記憶や暑さが重なり、「自分も一緒に連れて行かれてしまう」といつの間にか根拠の無い変なことを考えまくるようになっていました・・・。

しかし、こんなところで救急車を呼んでしまっては親戚や親族、家族が混乱してしまうと思い私は少々遅れて1人車で斎場へ移動することにしました。

その途中で今まで経験したことの無いような、いつも以上に激しい動悸・期外収縮・手足の痺れ・激しい呼吸困難に襲われ、私は市の施設(運動場のようなところ)の駐車場までなんとか車を運転し、救急車を呼びました。

ちなみに、救急車の中での出来事はほとんど覚えていません・・・。

ですが、救急隊員さんが「脈拍が150以上(頻脈で細動ではない)」とか「血圧の上は200近く」など、聞いたこともないようなとんでもない数字を話してい
たことはぼんやりですが覚えています。

結果的に私は熱中症も併発していたことが、搬送先の病院で判明ました。


c.どうやってパニック障害を克服したのか

結論から言いますと、私は自力で治しました(根治してるか分かりませんが)。

薬に頼る方法も当然ありましたが、私の場合は徹底的に自分を追い込みました

通常は、嫌なことや「あ、ヤバそうだな」と思うことを避けるのですが、私の場合は自分からそれに向かっていきました。

だって、向かっていかなきゃしょうがないじゃないですか・・・。

まず、「もし○○だったらどうしよう」「もし○○になったら・・・」などといった確率的に100%発生すること以外は極力考えないようにする努力をしました。

そんなことを考えても意味がない」「無駄な労力なだけ

こう考えられるようになると非常に楽になりました。

人間、死ぬ時は死ぬんです。遅かれ早かれ死ぬんです。

遺伝子をいじくるなどの延命カスタムなどを行わない限り、考えても仕方がないです。

つまり、"考えたところでどうにもならないことはとことん考えない"

これを徹底することに努めました。



▼まとめ

私の場合、パニック障害とは別に持病の期外収縮があるため、余計に悪かったのです。

期外収縮については、もうカテアブくらいしか解決策はないでしょう。

カテアブも失敗すればこれまで以上に悪化することもあるため、慎重に判断しないといけません。

どうしようもなくなったらペースメーカーですね。

電力と人力の"ハイブリッド人間"になります。

しかし現在は幸いにも、息が詰まるような職場に居るわけでもなく、極度に緊張するような環境にいるわけでもないので、期外収縮も殆ど感じることがありません。

元々私の家系は循環器系やら何やらで、疾患がありまくる家系でして・・・。

早死する人はいないものの、

父方の祖母:狭心症・不整脈・高血圧・癌(根治済み)・腎機能障害
母方の祖母:再生不良性貧血・動脈瘤・不整脈・高血圧・ネフローゼ
  の祖父:不整脈・心房細動による心筋梗塞・高血圧・脳梗塞
母親:再生不良性貧血・不整脈(期外収縮)

このようなバリエーションとなっており、既出の通り母方の祖父母はもう亡くなってますが、心疾患などを患いながらも70代後半まで生きていました。

だからと言って私が70以上まで生きられる保障はどこにもないわけで、いつ死ぬかなんて分かるはずがありません。

パニック障害に戻りますが、医者に

これは自分の気持ちが作り出す病気」「今は辛いけど時間が解決してくれる

と言われたこともあり、これらはどうやら本当のようです。

私の場合6年余り続きましたが、"自分を変えよう"とする意識や"慣れ"が非常に重要だと痛感しました。

もし私が自らこれに立ち向かおうとしなかったら、未だに苦しんでいたかもしれません。

恐らく、朝起きることも嫌になっていただろうと。

パニック障害は当時を思い出すことが非常に良くないので、私は今かなり危険なことをしています・・・。

多分よーく思い出せばまだまだあると思うのですが、あの時はあの時のこととして、これを書き終わったら極力思い出さないことにします・・・。


最後までお読み頂いた方、大変ご苦労様でした。


ではでは。

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